史跡湯島聖堂,公益財団法人斯文会のホームページ

伝統行事

孔子祭

 湯島聖堂では、毎年4月第4日曜日に孔子祭(釋奠)を行っております。釋奠(せきてん)とは古く中国で孔子をはじめとする先聖導師に、牛や羊などのいけにえを備えて祀ったことに始まり、現在の聖堂ではお酒、生鯉、野菜などをお供えして孔子とその学問を顕彰しております。孔子の大成した儒学を国家の思想的拠り所とし、幕府の儒臣林羅山が上野忍岡邸内の先聖殿で初めて釋奠を挙行したのは寛永10年ですが、湯島聖堂での第1回は創建直後の元禄4年です。以来毎年、春秋2回行われていましたが、明治維新の変革の中で途絶えてしまいました。明治40年に至り朝野の有志により孔子祭典会が創立され、その年4月、維新後はじめての釋奠が復活、以後大正8年の第13回まで孔子祭典会の主催により行われました。この間大正7年には、斯文会は前身の斯文学会を解散して財団法人となり、これを機に孔子祭典会その他の漢学関係団体を合併、釋奠も斯文会が継承することとなり、大正9年を第1回として以来絶えることのない、聖堂の伝統儀式として今日に至っています。

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神田神社神官による修祓のあと、奏楽と共に開扉が行われます。


奠幣、奠饌、が神官によって行われます。

煎茶道松風花月流家元、高野楓石氏による献茶の模様です。


祭主、徳川 恒孝斯文会名誉会長によって祭文奉読が行われます。

祭主拝に続いて、来賓拝、参会者代表拝と続きます。

来賓、許世楷 台北駐日代表閣下の祝辞が読み上げられます。


撤饌の後、奏楽と共に閉扉が行われます。


本会の、石川忠久理事長による講経がそれに続きます。
本年度は『論語』子罕第九「子畏於匡」章の講経でした。
いきさつが史記に書いてあるとそのお話のされました。
この章に出てくる、「この文」というのは、わかり易い言葉で言い直すと文化と言っても良いと述べられ、既に二千五百年も前に、人類にはこの様な文化を継承する自覚の人がいて、人類の文明は絶対に滅びないんだという固い信念がこの言葉の裏にあると思うと述べられました。
又、孔子が文化に対する信念や文化に関する事が書かれた他の章からの言葉を紹介しました。

それに続き、二松学舎大学付属高等学校生徒、および参会者一同により、「孔子頌徳の歌」が歌われます。

最後に、財団法人斯文会の石川忠久理事長による挨拶で締めくくられました。


祭官、伶人、祭主、来賓、参会者が順に大成殿を後にしたあと、晴天に恵まれた大成殿の廡では、松風花月流の方による煎茶の席が設けられていました。

午前11時半より、国立新美術館館長・林田英樹先生のご講演でした。
「美術館から見た文化力競争の時代」という演題でお話下さいました。


日本では、博物館と美術館という使い分けをしているという。
国内の美術館の運営はとても難しい状況だと述べられ、国や地方の文化関係の財政予算と、外国・フランスやアメリカ等の世界の美術館と比較され、又寄付制度のお話まで、幅広いお話でした。これからは、今の時代に合った運営をして、国民的な支持を頂ける機関になっていく努力をしていかなければならないと述べられました。最後に私たち自身が、世界の中での日本文化の特性を理解し、外国にどのように伝えていくかが重要な課題となっている。
とお話されました。



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